京見塚古墳は5世紀中ごろに造られた円墳で直径47メートルあるそうです。
発掘されて復元された遺構が多く、とても見学しやすい公園になっています。
しかしこの辺りには京見塚古墳への案内板などが無くて公園に着くのに苦労しました。
京見塚という名のいわれは病弱でこの地に移り住んだ戒成王子が、この古墳周辺の丘から遠く故郷の京都を偲んで眺めていたことから、この名前がついたそうです。
戒成王子とは桓武天皇の第4皇子。
少し調べてみたのですが桓武天皇は子供が23人もいたと言われていて、戒成王子は歴史上まったく無名の人物らしいです。
二か月ほど続けてきた磐田の遺跡シリーズ。
ここでひとまず中断しようと思います。
磐田市にはまだたくさんの遺跡があり紹介できたのは、ほんの一部に過ぎません。
磐田市には旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代。
奈良時代から中世、近世に至るまで多くの遺構が存在しています。
磐田市の名前はJリーグ、ジュビロ磐田の活躍で全国区になりましたが、現在でも行政は町おこしにがんばっておられます。
歴史があり自然が豊かでサッカーが盛んな町、磐田市。
素敵なところですよ^^
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