千人塚古墳墳頂部から磐田方面を臨む。
造り出し部
千人塚古墳出土品 浜松市博物館蔵
千人塚古墳は戦国時代の三方原の戦いのあとに武田・徳川両軍の戦死者数千人を葬ったと伝えられていました。
三方原の戦いは歴史に残るほどの大きな合戦であったのにかかわらず、三方原のどこで戦われたのかまったく分からない合戦で
この古墳は千人塚と呼ばれていたので、この付近で戦われたと推定されていたのですが
発掘調査の結果、合戦に関する出土物がまったく発見されなかったので合戦がどこで行われたのかは謎に包まれてしまいました。
発掘調査の結果、墳頂部にある第一主体部は盗掘を受け何も発見されませんでした。
第一主体部の少し南側に第二主体部が発見されそこからは短甲一領、鉄剣二、大刀二、鉄鍬七五など豊富な副葬品が発見されました。
墳丘の裾にある造り出し部からは鉄剣二、大刀五、鉄鍬一一六、鉄斧六などが発見されました。
天竜川平野部に大きな勢力を得た地方豪族の墳墓と考えられているそうです。
位置情報
北緯34度45分19.46秒
東経137度44分6.70秒
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